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監督 ― さたかさんのこと②

続きを書く前に佐髙さんの人となりに触れておきたいと思います。
耳触りのいいことだけを書いてもそんなのは僕の知っている佐髙さんではないと思うので、見聞きして知りえた範囲で率直に。

故人のことをこんな風に書くと叱られそうですが、佐髙さんは決して完璧な助監督ではありませんでした。
もちろん優れていると感じる部分もたくさんありましたが…現場や準備でズルをすることもありましたし、自分の不手際を人のせいにしたり(大体バレるんですけどw)、強引な進め方で他のスタッフとの間に軋轢を生んだり…とまあそんな感じでした。
なので仕事で関わった人たちの中には佐髙さんのことを良く思わない人がいる事も事実です。
撮影現場が原因ではなかったらしいですが、ある方など「あいつとは仕事しない方がいいよ」とわざわざ僕に忠告までしてくれました。
でも外野から何と言われようと、どんなに予算の無い自主映画みたいな制作体制の現場でも佐髙さんは体が空いていればグチを言いながら付き合ってくれましたし、僕はそんな佐髙さんに甘えてしまっていたのだと今さらながらに感じています。

飲みに行っても私生活の事はあまり話しませんでしたがお子さんの話はよく聞きました。
出身地である北海道の幼馴染の方に聞いた話では小学5年生で転校してきた佐髙さんは中学3年に上がるときに教師の父親の転勤の為に別の学校に転校してからいじめられてしまい、高校でグレて問題を起こしドロップアウト。
その後上京して20代で結婚。
ミュージシャンの旦那さんとの間に二人の娘と息子を一人もうけたのち籍は抜かずに別居、事実上の離婚。
家を出た佐髙さんは地元には戻らず最初はスタイリストとしてこの業界に飛び込んだのだそうです。
佐髙さんと出会った頃は一番下の男の子がたしか小学生、上のお姉さんが高校生だったかと記憶しています。
流転というかなんというか、もしかしたら帰る場所が無いような心持ちだったのかもしれません。

しかしこの業界はどこか世間からはみ出している人が多く、またそういう人を受け入れる土壌がある(と僕は思っている)ので佐髙さんにとって居心地が良かったのではないかと思っています。
そしてここは僕にとっても居心地のいい世界です。
そんなシンパシーが僕や佐髙さん、この業界の住人をつないでいるのではないかと感じることがたまにあります。



【2013年10月7日】
前回のお見舞いの帰り道、能登くんが佐髙さんにムービーカメラを渡して自分撮りしてもらうのが良いんじゃないかと提案してくれた。
それで佐髙さんが自分撮りするためのビデオカメラを購入する為に新宿のヨドバシカメラへ行く。
小さくて軽量、小回りのきくソニーのハンディカムを買った。
支払いを済ませ帰ろうとしたときに先日の佐髙組「OMOCHA」や僕の作品に何本も参加してくれているカメラマンの今井さんとばったり出くわす。
事情を話すとちょうど明日、佐髙さんが5月に助監督を務めた映画「新大久保物語」のスタッフを連れてお見舞いに行くという。
僕もカメラを渡したいので同行することにした。



【2013年10月8日】
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自分とカメラマンの今井さん、僕は初対面の韓国からきた演出部の云(うん)ちゃんの3人でお見舞い。
佐髙さんは点滴がはずされて少し元気になったように見えたけど抗がん剤の副作用で髪が抜け始めたらしい。
見た目からだけでは分からない辛いことが沢山あるんだろうなと思った。
もし何か言いたくなったことなんかがあったらこのカメラで自撮りして下さい、とカメラを渡した。

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治療が一段落したら役所に離婚届を提出しに行きたいと言う佐髙さん。
3人の子供が成人するまでは籍を抜かないつもりだったらしいけど、こうなった以上もしもの時に遺産が直接子供たちに渡るように籍を抜く事に決めたらしい。

初監督作「OMOCHA」は編集の石井さんが仮編集したものをまずは10日にチェックする事になったそうだ。
兎にも角にもこれで初監督作品完成までの段取りは見えてきたわけだ。

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「自分は今まで現場での人間関係をあまり重視してこなかったので友達が少ない」と自虐的に言う佐髙さんに、先日の野村さんのようにこれを機会にわだかまりのある人たちと会ってみてはどうかと提案する。

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帰りがけ、病室のネームプレートが一名分減っていた事に気付いたが触れてはいけない事の様な気がして何も聞けずに病院を出た。
台風が近づき生暖かい夜風が強く吹いていた。



【2013年10月9日】
21:00に佐髙さんからメール。
謎の発疹が出て熱が40度あるとのこと。
抗がん剤の副作用なのかな。
明日のオフラインチェックは大丈夫だろうか?



【2013年10月10日】
今日は「OMOCHA」オフラインチェックの予定だったが、編集の石井さんの都合でチェックは翌日にずれ込んだ。
佐髙さんの体調的にも丁度良かったんじゃないかとホッとする。
台風は東京を逸れ温帯低気圧へと変わった。


つづく
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監督 ― さたかさんのこと①

さたかさん
白血病で1年にわたり闘病中だった演出部の佐髙さんが亡くなった。
ちょうど一か月前、10月21日の昼下がり、突然にその知らせは届きました。

8月の半ばにご本人から治療の経過が芳しくなくきっと年は越せないだろうと聞いてはいましたが…心のどこかで佐髙さんのことだから、なんやかんやで来年のお正月も悪びれもせずに「生き残っちゃいましたよ~」なんて言って笑っているような、そんな気がしていました。

以前の記事と重複しますがもう一度、僕と佐髙さんの関係を書かせて下さい。
僕が佐髙さんと出会ったのは10年ほど前。さんざん寄り道した揚句に29歳で商業監督としてVシネマで監督デビューを果たした頃でした。
助監督経験がほとんどなく右も左も分からなかった僕にとって彼女は10歳近く年上の助監督で頼れる存在だった…と同時に年上の助監督という事で壁を感じてもいました。
その後も彼女は僕の監督した殆どの作品(長編8本 短編4本/未公開含む PV7本)に助監督として参加してくれました。
そんな佐髙さんが昨年の夏、Vシネマで48歳にして監督デビューする事になりました。
「OMOCHA」という大人のおもちゃをモチーフにしたエッチなVシネマでした。

OMOCHA

監督デビュー作の撮影が終わり、直後に佐髙さんは入院しました。
急性骨髄性白血病でした。
プロデューサーに病気のことを知られれば監督を降ろされるかもしれないと考え、病気であることを隠して撮り終え抗がん剤治療を受けながら作品を完成させるという選択をしたのです。

僕は入院する直前の佐髙さんに呼び出され闘病の様子を記録してほしいと言われました。
どこまでできるか分かりませんでしたが引き受けました。
佐髙さんが亡くなって1カ月、こんな事に意味があるのか自分なりに考えましたが、本人が記録を望んだということもあり佐髙さんが入院してから亡くなるまでの記録を何回かに分けてここで綴っていこうと思います。
僕の主観が混じりますがお許しください。



【2013年9月6日深夜】
渋谷の大人のおもちゃ屋へ佐髙組「OMOCHA」撮影現場の応援に行く。
知り合いばかりで現場は和気あいあい。
数シーンにまたがってエキストラ出演させられる。
最終日だけあって監督している佐髙さんは少し疲れて見えたが自分の初監督の時のテンパリ具合を思い返せば全然余裕のある感じ。
さすがに助監督経験が長いだけの事はあるなと思うと同時に落ち着き過ぎているとも感じた。
もっと感情的に演出する佐髙さんを見たいな、と思う。
初監督作品のクランクアップを見届けて始発で帰った。
撮り切ってホッとした顔をしてたけど本当はここから始まる仕上げの事で頭がいっぱいだろうなと想像して少しニヤっとしながら。



【2013年9月11日】
佐髙さんから電話で病気の事を聞かされる。
何と言っていいか分からない。
急いで急性骨髄性白血病についてググった。
自分に出来る事はしたいと思うけどできる事って何だ?



【2013年9月12日】
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新宿のスバルビルで待ち合わせる。
こんな話をする時ですらスバル下の喫茶店。
空しいようなでも「やっぱここだよな…」という連帯感も感じる映画・映像業界の人間にとって特別な場所。
ブログを始めたいというのでアカウントを取りセッティングをする。
佐髙さんはパソコンが苦手だ。
以前も出入りしていた制作会社のパソコンをいじっているうちにウィルスに感染させて騒ぎになったことがあったなぁと思い出す。
「病気が治ったらこのブログを書籍化して印税で儲けるつもりです」とうそぶく佐髙さん。
そして闘病の様子を撮影してほしいと頼まれる。
どこまでできるか分からないけど佐髙さんがそう言うなら・・・。
そして数日後、佐髙さんは入院した。



【2013年10月5日】
最初のお見舞い。
監督の能登くんとプロデューサーの野村さんが同行。

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能登君は僕の監督作品に佐髙さんと供に助監督として参加してくれた演出部で現在は立派に監督もこなしている。
佐髙さんとはいわば助監督としての戦友だ。
先日の佐髙組「OMOCHA」にも助監督として参加していた。

OMOCHA

野村さんは僕が監督デビューする少し前からの付き合いで、僕が佐髙さんと仕事をし始めた時にも傍にいた制作部。
しかしその後、演出部の佐髙さんとは仕事上のすれ違いから疎遠になってしまっていた。
疎遠になってしまった事を互いに気に病んでいる事を知っていたので、事情を話して野村さんをお見舞いに呼んだ。
久しぶりににこやかに話すふたりを見てわだかまりが解けたように感じた。
上辺だけのことじゃなく、本当に。

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「自分の病気も監督作品の宣伝になる」と強がる佐髙さんが、
ふと「会いたくない人ばかり夢に出る」とつぶやいたことが深く印象に残った。



映画作りに限らずあらゆる仕事において皆それぞれの立場があって、それを守り演じるために誰かにきつい言葉を投げかけてしまったり剣呑な態度を取ったり。
そうして溝を深めるうちに仕事から離れた所でもその人を憎むようになる。
そんなことは本当にバカバカしいし立場やプライドを守るためにとげとげしい言葉で武装せずに互いの立場を尊重して許しあえたらいいのにな、とこの日の二人を見て思った。
まぁでもムカつく奴はやっぱムカつくから…無理なのかもね(笑)


つづく
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東海林毅@七分咲き

Author:東海林毅@七分咲き
東海林毅/ショウジツヨシ(41)
映画監督、映像作家、
コンポジターもやるよ。

NHK Eテレ<青山ワンセグ開発>「ファスナー昆虫記」「女子力相撲」「平成サウダージ」◆BSP「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」毎月第4木曜日21:00~ VFXスーパーバイザーで参加中

代表作:実写版「喧嘩番長」シリーズなど

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