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「リップヴァンウィンクルの花嫁」を観て思ったこと

仕事帰りに岩井俊二監督の「リップヴァンウィンクルの花嫁」を見ました。
深夜25時から28時の回。寝てしまうんじゃないかと心配でしたが、あくびどころか最後のカットが黒落ちした瞬間に溜息がもれてしまうほどのめり込んで観てしまいました。
綾野剛が演じる男の涙は本物だろうか?
最後のカットをどう受け取るか?
ちょっと自分の経験もない交ぜになってしまい、明け方の新宿から数駅歩くあいだじゃ到底咀嚼しきれないですが自分なりにこんな事を考えました。

SNSやテキストチャットのような顔のない/身体感覚と切り離されたコミュニケーション方法を多用する現代の私たちにとって、他者とはより複雑で不確かな存在なのかもしれません。
自己とは常に他者を通しての存在だという人がいます。
だとしたら他者の存在がますます不確かに感じられる現代においては自己もまた不確かにならざるを得ないのではないでしょうか。そして今はそんな孤独から逃れようとみんなが拠り所を探している時代であるような気がします。

しかし僕はこの身体感覚から離れた世界での不自由で不確かなコミュニケーションに心酔していた時期があります。
20代の後半、フリーランスの映像作家としてようやく生活できるだけの収入が得られるようになった頃、ネットゲーム(MMORPG)にハマりました。現実に不満があったわけではなかったですが、今にして思えば将来の不安や葛藤から逃げ込むための場所が欲しかったのかもしれません。何にせよ僕は放置なしで1日平均10時間以上、みっちりネットゲームをするようになりました。いわゆる準廃人です。
表情、声、匂い、体温……現実の肉体を伴わない不自由な世界でのコミュニケーション。
しかし時々そこに垣間見える「他者の存在」は肉体を伴わないがゆえに近く、かえって強烈に僕を打ちのめしました。
それは実は孤独を忘れさせてくれる経験でもありました。

リアルでは会ったこともない19歳の女の子と僕はゲームの中で結婚しました。ゲームの中で式を挙げ、ゲーム内の友人を招待し披露宴と2次会まで行いました。最初は「ごっこ遊び」のつもりでしたがゲーム内で僕以外のプレーヤーと遊ぶ彼女に嫉妬を覚えたとき、自分の感情がもはやゲームでもごっこでもないことを知り恐ろしくなりました。

ゲーム内での暴力的な言動でいつも問題を起こすプレイヤーは、父親の暴力から逃れて母親と施設で暮らしている17歳の少年でした。そんな彼は女性のアバターを使っていた僕を女だと思い込み口説き落とそうと必死でした。僕は彼に口説かれながら彼の純粋さを感じました。

ネトゲ好きの両親に嫌気がさして祖母の家に居候しながら、結局本人もネトゲを止められないでいるハタチの女の子は夢があると僕に教えてくれました。彼女はネイリストになるための学校の学費を今、バイトして貯めているところでした。

中の人が男か女か分からないほどクールだったその人はある日の明け方、僕にふとこんな思い出話をしてくれました。むかしレイプされたことがきっかけでAVに出演した。グレて居場所を失いネカフェ難民になって援助交際で生活していた時、ただの客のくせに自殺未遂をしでかした自分に本気で向き合ってくれたのが今の旦那だったと。明け方の気怠いチャットログに並んだ文字から何とも言えない穏やかさが漂ってくるような気がしました。

とある凄腕の主婦プレーヤーはある日を境にぱったりゲームにログインしなくなりました。人づてに、彼女がゲームに熱中している最中にお子さんが隣の部屋で自殺していたことが原因だと聞きました。その後悔からネットゲームを止めたのだと。それでもなおSkypeの彼女のステータスが時々オンラインになることを僕は知っています。

もちろん相手がどこの誰だかなんて分かりませんし、そこで出会った人たちが本当のことを言っているとは限りません。
ネットなんだから、という人もいます。
では現実では?私たちはそんなに他者のことを知っているでしょうか?自分が何者か知っているでしょうか?

閑話休題
映画に話を戻します。
確かに人は誰も自分の心すら良く分からないし、ましてや他人の心など知ることのできない孤独な存在なのかもしれません。
しかし僕には映画の終わりに黒木華さん演じるカムパネルラは孤独を埋めるための、目には見えないけれど確かなものを手にしたように思えました。もう一度観たいな。
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監督 ― さたかさんのこと③

1月5日は佐髙さんの誕生日。
49歳のまま時間が止まってしまったけれどお誕生日おめでとうございます。

さたかさん

入院しながら初監督作品「OMOCHA」を仕上げていった佐髙さんのこと。
編集チェックの日から続きを書きます。
僕の主観が混じりますがお許しください。



【2013年10月11日】

いよいよ佐髙さんの初監督作品「OMOCHA」のオフライン(仮編集)チェックの日。
少し早く到着したので先に病室を訪ねると佐髙さんは体調が悪く横になって休んでいた。
悪い咳が止まらない。


「OMOCHA」の初号DVDを持ってプロデューサーの藤原さん、編集の石井さん、そしてお見舞いに演出部や録音部など大勢の人たちがやって来た。




通しで最後まで見る体力が無いとのことで、さわりだけをプロデューサー、編集と3人でチェックしていた。
ここで使いたい画がある、など色々編集に対して言いたげな佐髙さん。
監督の顔になっている。
結局メールベースで佐髙さん・藤原さんが今回のフィードバックを行い、修正したものをまた病室に持ってくる事になった。

初めての商業作品を監督する時、ほとんどの監督は現場での演出を思い通りにこなす事はできないのではないかと思います。現場でやり残したことを撮影後の仕上げで取り戻すというわけでもないですが、初めてである分だけさらに編集や音楽などの仕上げでこだわりたいことが山のようにあるはずです。
それを病室のベッドの上でやらなければいけないというのは本当につらく、もどかしいことだと思います。
ともかくこれで初監督作品の完成までの段取りは決まったわけです。


他のスタッフの皆さんともひとしきり話しみんなが帰った後、佐髙さんが仲良くなった同室の患者さん2名に取材を行った。
許可は取ってあるという。
妙に張り切ってインタビューを行う佐髙さん。
まるでデビュー作につきっきりで関われないストレスを発散しているようにも見えました。
一人は佐髙さんと同じ病名、もう一人はまた少し違った病気だったが同種類の病気と闘う者同士の連帯感が生まれたようだった。
皆それぞれに家族や仕事、社会から切り離されここで戦っているのだと実感させられる。

帰り際に自身のブログ記事をFBにリンクさせるやり方が分からないという佐髙さん。
[佐髙さんのブログ]
URLをコピペして貼り付けるだけだよと何度も教えたが分かっていなかった。
この人は本当にパソコンオンチだ…。



【2013年10月14日】


深夜、0時過ぎに激しい頭痛に襲われていると佐髙さんからメール。
明日電話してほしいと書き添えられていた。
翌昼、電話をかけるが繋がらない。
良からぬ想像が脳裏をよぎる。
数分後に折り返しがありどうも薬の副作用らしいということだった。
言葉の端々から医者や治療への不信が滲み、時に口が悪くなる。
僕らには普段見せない不安や焦りがそうさせているんだと感じた。
これからも危ないと思ったらメールします、と佐髙さん。



【2013年10月15日】

スタイリストの斎藤あかねさんを連れてお見舞いに行く。
佐髙さんはベッドで起きていたが髪が抜けたため頭にタオルを巻いていた。
現場の人みたいでしょと笑う佐髙さん。
来る途中に太いヘアゴムを買って来てと頼まれたのはこのタオルを縛る為なのだった。


(写真はあかねさんのFBよりお借りしました)

僕の監督作品「喧嘩番長」シリーズにずっとスタッフとして参加してくれていた佐髙さんとあかねさん。
僕の作品以外でも二人は良く同じ現場に助監督とスタイリストとして参加していた。
そしてよくケンカをしていました。
いや“よく”っていうか佐髙さんとあかねさんの喧嘩でもう一本「喧嘩番長」が作れるんじゃないかってほどw
医者に毒づき苦しくなるほど笑い合うふたりを見ながらやっぱり似た者同士なんだなと再確認する。

すっかり頭髪が抜けてしまった佐髙さんがあかねさんに自分用の衣裳の発注をした。
点滴を受けながらはおれるフード付きのポンチョ…次に訪ねる時までに作っておくねとあかねさん。
「OMOCHA」のオフラインDVDはどうでした?と尋ねるとまだ全部は見ていないとの答え。
体調が思わしくなく、通して見続ける気力が無いとの事。
佐髙さんの心境を慮ると苦しい。

佐髙さんは先日の同室の患者さん達へのインタビューが病院にばれて大目玉をくらったらしく不貞腐れている。
患者さんの家族の許可は取ったのか?病院は許可した覚えはないぞ、と。
その怒りが治療方針や食事に向いてしまっていて聞いていてつらい。
そういえば僕の映画でも無許可で撮影して怒られた事いっぱいありましたよね…佐髙さんw
正直、こんな事になるならカメラなんて渡さなければよかったと少し思った。




つづく

監督 ― さたかさんのこと②

続きを書く前に佐髙さんの人となりに触れておきたいと思います。
耳触りのいいことだけを書いてもそんなのは僕の知っている佐髙さんではないと思うので、見聞きして知りえた範囲で率直に。

故人のことをこんな風に書くと叱られそうですが、佐髙さんは決して完璧な助監督ではありませんでした。
もちろん優れていると感じる部分もたくさんありましたが…現場や準備でズルをすることもありましたし、自分の不手際を人のせいにしたり(大体バレるんですけどw)、強引な進め方で他のスタッフとの間に軋轢を生んだり…とまあそんな感じでした。
なので仕事で関わった人たちの中には佐髙さんのことを良く思わない人がいる事も事実です。
撮影現場が原因ではなかったらしいですが、ある方など「あいつとは仕事しない方がいいよ」とわざわざ僕に忠告までしてくれました。
でも外野から何と言われようと、どんなに予算の無い自主映画みたいな制作体制の現場でも佐髙さんは体が空いていればグチを言いながら付き合ってくれましたし、僕はそんな佐髙さんに甘えてしまっていたのだと今さらながらに感じています。

飲みに行っても私生活の事はあまり話しませんでしたがお子さんの話はよく聞きました。
出身地である北海道の幼馴染の方に聞いた話では小学5年生で転校してきた佐髙さんは中学3年に上がるときに教師の父親の転勤の為に別の学校に転校してからいじめられてしまい、高校でグレて問題を起こしドロップアウト。
その後上京して20代で結婚。
ミュージシャンの旦那さんとの間に二人の娘と息子を一人もうけたのち籍は抜かずに別居、事実上の離婚。
家を出た佐髙さんは地元には戻らず最初はスタイリストとしてこの業界に飛び込んだのだそうです。
佐髙さんと出会った頃は一番下の男の子がたしか小学生、上のお姉さんが高校生だったかと記憶しています。
流転というかなんというか、もしかしたら帰る場所が無いような心持ちだったのかもしれません。

しかしこの業界はどこか世間からはみ出している人が多く、またそういう人を受け入れる土壌がある(と僕は思っている)ので佐髙さんにとって居心地が良かったのではないかと思っています。
そしてここは僕にとっても居心地のいい世界です。
そんなシンパシーが僕や佐髙さん、この業界の住人をつないでいるのではないかと感じることがたまにあります。



【2013年10月7日】
前回のお見舞いの帰り道、能登くんが佐髙さんにムービーカメラを渡して自分撮りしてもらうのが良いんじゃないかと提案してくれた。
それで佐髙さんが自分撮りするためのビデオカメラを購入する為に新宿のヨドバシカメラへ行く。
小さくて軽量、小回りのきくソニーのハンディカムを買った。
支払いを済ませ帰ろうとしたときに先日の佐髙組「OMOCHA」や僕の作品に何本も参加してくれているカメラマンの今井さんとばったり出くわす。
事情を話すとちょうど明日、佐髙さんが5月に助監督を務めた映画「新大久保物語」のスタッフを連れてお見舞いに行くという。
僕もカメラを渡したいので同行することにした。



【2013年10月8日】
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自分とカメラマンの今井さん、僕は初対面の韓国からきた演出部の云(うん)ちゃんの3人でお見舞い。
佐髙さんは点滴がはずされて少し元気になったように見えたけど抗がん剤の副作用で髪が抜け始めたらしい。
見た目からだけでは分からない辛いことが沢山あるんだろうなと思った。
もし何か言いたくなったことなんかがあったらこのカメラで自撮りして下さい、とカメラを渡した。

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治療が一段落したら役所に離婚届を提出しに行きたいと言う佐髙さん。
3人の子供が成人するまでは籍を抜かないつもりだったらしいけど、こうなった以上もしもの時に遺産が直接子供たちに渡るように籍を抜く事に決めたらしい。

初監督作「OMOCHA」は編集の石井さんが仮編集したものをまずは10日にチェックする事になったそうだ。
兎にも角にもこれで初監督作品完成までの段取りは見えてきたわけだ。

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「自分は今まで現場での人間関係をあまり重視してこなかったので友達が少ない」と自虐的に言う佐髙さんに、先日の野村さんのようにこれを機会にわだかまりのある人たちと会ってみてはどうかと提案する。

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帰りがけ、病室のネームプレートが一名分減っていた事に気付いたが触れてはいけない事の様な気がして何も聞けずに病院を出た。
台風が近づき生暖かい夜風が強く吹いていた。



【2013年10月9日】
21:00に佐髙さんからメール。
謎の発疹が出て熱が40度あるとのこと。
抗がん剤の副作用なのかな。
明日のオフラインチェックは大丈夫だろうか?



【2013年10月10日】
今日は「OMOCHA」オフラインチェックの予定だったが、編集の石井さんの都合でチェックは翌日にずれ込んだ。
佐髙さんの体調的にも丁度良かったんじゃないかとホッとする。
台風は東京を逸れ温帯低気圧へと変わった。


つづく

監督 ― さたかさんのこと①

さたかさん
白血病で1年にわたり闘病中だった演出部の佐髙さんが亡くなった。
ちょうど一か月前、10月21日の昼下がり、突然にその知らせは届きました。

8月の半ばにご本人から治療の経過が芳しくなくきっと年は越せないだろうと聞いてはいましたが…心のどこかで佐髙さんのことだから、なんやかんやで来年のお正月も悪びれもせずに「生き残っちゃいましたよ~」なんて言って笑っているような、そんな気がしていました。

以前の記事と重複しますがもう一度、僕と佐髙さんの関係を書かせて下さい。
僕が佐髙さんと出会ったのは10年ほど前。さんざん寄り道した揚句に29歳で商業監督としてVシネマで監督デビューを果たした頃でした。
助監督経験がほとんどなく右も左も分からなかった僕にとって彼女は10歳近く年上の助監督で頼れる存在だった…と同時に年上の助監督という事で壁を感じてもいました。
その後も彼女は僕の監督した殆どの作品(長編8本 短編4本/未公開含む PV7本)に助監督として参加してくれました。
そんな佐髙さんが昨年の夏、Vシネマで48歳にして監督デビューする事になりました。
「OMOCHA」という大人のおもちゃをモチーフにしたエッチなVシネマでした。

OMOCHA

監督デビュー作の撮影が終わり、直後に佐髙さんは入院しました。
急性骨髄性白血病でした。
プロデューサーに病気のことを知られれば監督を降ろされるかもしれないと考え、病気であることを隠して撮り終え抗がん剤治療を受けながら作品を完成させるという選択をしたのです。

僕は入院する直前の佐髙さんに呼び出され闘病の様子を記録してほしいと言われました。
どこまでできるか分かりませんでしたが引き受けました。
佐髙さんが亡くなって1カ月、こんな事に意味があるのか自分なりに考えましたが、本人が記録を望んだということもあり佐髙さんが入院してから亡くなるまでの記録を何回かに分けてここで綴っていこうと思います。
僕の主観が混じりますがお許しください。



【2013年9月6日深夜】
渋谷の大人のおもちゃ屋へ佐髙組「OMOCHA」撮影現場の応援に行く。
知り合いばかりで現場は和気あいあい。
数シーンにまたがってエキストラ出演させられる。
最終日だけあって監督している佐髙さんは少し疲れて見えたが自分の初監督の時のテンパリ具合を思い返せば全然余裕のある感じ。
さすがに助監督経験が長いだけの事はあるなと思うと同時に落ち着き過ぎているとも感じた。
もっと感情的に演出する佐髙さんを見たいな、と思う。
初監督作品のクランクアップを見届けて始発で帰った。
撮り切ってホッとした顔をしてたけど本当はここから始まる仕上げの事で頭がいっぱいだろうなと想像して少しニヤっとしながら。



【2013年9月11日】
佐髙さんから電話で病気の事を聞かされる。
何と言っていいか分からない。
急いで急性骨髄性白血病についてググった。
自分に出来る事はしたいと思うけどできる事って何だ?



【2013年9月12日】
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新宿のスバルビルで待ち合わせる。
こんな話をする時ですらスバル下の喫茶店。
空しいようなでも「やっぱここだよな…」という連帯感も感じる映画・映像業界の人間にとって特別な場所。
ブログを始めたいというのでアカウントを取りセッティングをする。
佐髙さんはパソコンが苦手だ。
以前も出入りしていた制作会社のパソコンをいじっているうちにウィルスに感染させて騒ぎになったことがあったなぁと思い出す。
「病気が治ったらこのブログを書籍化して印税で儲けるつもりです」とうそぶく佐髙さん。
そして闘病の様子を撮影してほしいと頼まれる。
どこまでできるか分からないけど佐髙さんがそう言うなら・・・。
そして数日後、佐髙さんは入院した。



【2013年10月5日】
最初のお見舞い。
監督の能登くんとプロデューサーの野村さんが同行。

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能登君は僕の監督作品に佐髙さんと供に助監督として参加してくれた演出部で現在は立派に監督もこなしている。
佐髙さんとはいわば助監督としての戦友だ。
先日の佐髙組「OMOCHA」にも助監督として参加していた。

OMOCHA

野村さんは僕が監督デビューする少し前からの付き合いで、僕が佐髙さんと仕事をし始めた時にも傍にいた制作部。
しかしその後、演出部の佐髙さんとは仕事上のすれ違いから疎遠になってしまっていた。
疎遠になってしまった事を互いに気に病んでいる事を知っていたので、事情を話して野村さんをお見舞いに呼んだ。
久しぶりににこやかに話すふたりを見てわだかまりが解けたように感じた。
上辺だけのことじゃなく、本当に。

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「自分の病気も監督作品の宣伝になる」と強がる佐髙さんが、
ふと「会いたくない人ばかり夢に出る」とつぶやいたことが深く印象に残った。



映画作りに限らずあらゆる仕事において皆それぞれの立場があって、それを守り演じるために誰かにきつい言葉を投げかけてしまったり剣呑な態度を取ったり。
そうして溝を深めるうちに仕事から離れた所でもその人を憎むようになる。
そんなことは本当にバカバカしいし立場やプライドを守るためにとげとげしい言葉で武装せずに互いの立場を尊重して許しあえたらいいのにな、とこの日の二人を見て思った。
まぁでもムカつく奴はやっぱムカつくから…無理なのかもね(笑)


つづく

ハンセン (not ウィー!!)

「そうなの~ただの<ほせん>なんだけどね・・・」
「スタッフだけその<ほせん>に乗り込んで取材を・・・」


ほせん?帆船?それ、はんせん じゃね?
でもその場にいた誰も指摘しない。
自分も含めて。
読み方が間違ってるってだけで容易に漢字が想像できるし、それが<ほせん>でも<はんせん>でも<帆船>でコンセンサスが取れているのでコミュニケーション上の問題はないもの。
そうして彼女の帆船は<ほせん>のまま今日もどこかの海を航海している。ヨーソロー。

漢字の読みを間違えたままオリジナルスタイルで覚えてしまっている事ってわりとありますよね。
僕は30歳くらいまで号泣(ごうきゅう)を<ごうしょう>、逝去(せいきょ)を<いっきょ>と読んでいました。
読みが分からない時にちゃんと辞書を繰らずに字面のイメージで勝手に脳内補完したのが原因でしょうね。
自分では気づいていないだけでこの手の読み間違いはまだまだあるかもしれません。
友人知人のみなさん、僕がおかしな読み方をしていたらご面倒でも指摘してくださいお願いしますw

読み間違いで印象的だったのが20代の頃に知り合ったとあるキャメラマン氏。

「その機材構成は<ぼんよう>的じゃないな。」
「そっちのほうがさ、<ぼんよう>性高いでしょ?」


汎用、凡庸、もちろん誰もつっこまないしつっこめない。
僕らも撮影助手も誰もがスルーw
そういうの指摘しづらい人だったからw

それにしても汎用的であることと凡庸であることは紙一重な気もしますね。
自分はどうだろう?
汎用性の高いくりえーたーとして認識されてるかなぁ?
だけどひとつ入った路地では(by銀色夏生)凡庸だと笑われてたりするのかな?
そもそも汎用的でいいの?

ていうかその読み方だとヱヴァなんて「凡庸ヒト型決戦兵器」ですけど・・・
凡庸ヒト型決戦兵器

と思ったらもうそのスレあったし。
【エヴァ】リツコ「ぼんよう人型決戦兵器エヴァンゲリオンよ」

・・・そんなヱヴァ乗りたくねぇよw
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東海林毅@七分咲き

Author:東海林毅@七分咲き
東海林毅/ショウジツヨシ(41)
映画監督、映像作家、
コンポジターもやるよ。

NHK Eテレ<青山ワンセグ開発>「ファスナー昆虫記」「女子力相撲」「平成サウダージ」◆BSP「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」毎月第4木曜日21:00~ VFXスーパーバイザーで参加中

代表作:実写版「喧嘩番長」シリーズなど

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